8月15日 豊後大野市で行われた「8.15平和祈念の集い」 をお手伝い。
ゲストに小室等さんを迎えてお話しを聴き、三重総合高校演劇部の生徒さん・OBも交えて「戦争責任者の問題」(昭和21年、映画監督の伊丹万作さんが書いたメッセージ) を輪読しました。
戦争責任はだれにあるのか、という問いに対する下記のことばが胸に残りました。
〜それは「だまし」の専門家 と「だまされ」の専門家に劃然 (かくぜん)と分かれていたわけではなく、いま、1人の人間が誰かにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別の誰かをつかまえてだますというようなことを際限なく、くりかえしていたので、つまり、日本人全体が夢中になって、互いにだましたりだまされたりしていたのだろうと思う〜
〜「だまされるということ自体がすでに1つの悪である」ことを主張したいのである。だまされるということは、もちろん知識の不足からも来るが、半分は信念 すなわち意志の薄弱から来るのである〜
ウクライナ侵攻など国際的なレベルから日々の暮らしまで、不安が高まると、私たちは思考停止しがち。
流されないように考えつづけることはむずかしいし、自分だけ踏みとどまるというのはもっとむずかしい。(弱者や少数者に対する不寛容もそう)
「戦争が迫っている」という論調のひとがいます。根拠は?目的は?
他に委ねず自分で判断するためには、情報を多方面から得て考える力をつけたり、学ぶ場や話し合う場を増やしたりすることが大切。
結論は出ないけど、平和とは何かを考え続けていく。
大切な日 8.15。
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松田磨 (土曜日, 02 9月 2023 18:02)
暑いので、気を付けて。